経済政策で人は死ぬか? : 公衆衛生学から見た不況政策
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発行年月 : 2014年10月(邦訳)
出版社 : 草思社
hontoのEPUBで読んだ。脚注が参照しづらいので、脚注についてはさっと目を通した程度。
「経済政策で人は死ぬか?」、結論、社会経済政策は人の生死にめっちゃ関わる。というのが理解できる。
ニューディール政策下のアメリカや、ソ連崩壊後のロシア、東アジア経済危機下のタイ、サブプライムローン問題から始まる金融危機に巻き込まれたアイスランドやギリシャ、イギリス、アメリカなどの実例を自然実験サンプルとして一つ一つ見ながら検証した結果を見れば、もう不況下で社会保護の予算を削る事なんて出来ないじゃんていうシンプルな話のはずなのに、世界は同じ過ちを繰り返すのか不思議になってきてしまう。ていうかIMFって何様なんだ…
最後の「イデオロギーや信念に社会保護政策の決定を委ねてはいけない」というのもほんとそうという感じで。
とはいえ、財政について財源をどうするとか突っ込んだ話まではこの本の領域の中では踏み込んでいなかったり、オバマケアでその後起きたような問題はどうするんだみたいな話もあると思うので、その辺についても調べないといけないのかもしれない。
少し前の状況をもとに書かれた本ではあるけど、COVID-19パンデミック下の今読んでみてよかった本だと思う。
医薬品の審査はあれだけ厳しいのに、なぜ経済政策の人体への影響は審査しないのだろうか。同等の厳しい審査があってしかるべきではないだろうか。ある経済政策が人体にとって安全で効果的だとわかれば、それはすなわち、より安全で健康な社会を作れるということである。(8%)
フーバーは貧困にあえぐ国民に「自助努力が必要だ」と説き、現状を理解していないと非難された。しかしフーバーは、職を失った人に手を差し伸べるのは連邦政府ではなく、民間の慈善団体や地方自治体であるべきだという信念を変えなかった。 (12%)
どっかで聞いたような話…
1930年代のスターリンはペンを走らせるだけで何百万人も死に追いやったが、英エコノミスト誌はマウスをクリックするだけで何百万人もの死者をよみがえらせた。(...)
だが何よりも問題なのは、こうした人々がデータを否定することばかりに夢中になって、もっとはるかに重要なこと、つまり経済的打撃から国民の命と健康を守るにはどうしたらいかに目を向けていないことである。 (18%)
ソ連崩壊後、市場経済への移行のためにIMFの提案に従って急激な民営化を進めたロシアをはじめとする旧共産圏の国々で死亡率が上がったという筆者たちのレポートに対して、IMFの方針を支持したエコノミスト誌の論説に対して。
健康より財政を優先させると、国の発展にとって最も重要な資源──すなわち国民──に危害が及ぶのである。 (22%)
一部のビジネスエリートが手を染めたギャンブルまがいの投資は、果たしてその国が、国民が、責任を負うべきものなのか。民間銀行のお粗末な投資判断は、果たして国民全体で尻拭いすべきものなのか。 (25%)
この会議では、緊縮策に賛成、反対それぞれの立場から意見が述べられた。賛成の人々は、緊縮策を実施すれば投資家が安心し、彼らのアイスランド離れを防いで不況の悪化を食い止めることができるので、結果的に公衆衛生上の災害も避けることができると主張した。だがこの主張は理論上のものでしかなく、これまでの不況関連のデータとは一致しない。これまでのところ、思い切った緊縮策が不況に歯止めをかけることを示すデータはなく、数字はむしろその逆を示している。つまり緊縮策によって失業率がさらに上がり、消費がますます落ち込み、経済がいっそう減速したと解釈できるデータばかりである。 (26%)
リスクの高い投資や口座に手を出した銀行や投資家、預金者に対して、税金で補償する必要があるのか? そのために必要以上の予算削減までのまなければならないのか? この問いに対し、国民投票で93パーセントがノーと答え、その結果アイスセーブの預金者保護に関する法案は退けられた。
この投票の結果に対し、株式市場はすぐに否定的な反応を示した。その背景には、19世紀の思想家アレクシス・ド・トクヴィルが指摘した「多数派の専制」への危惧や、おなじみのミルトン・フリードマンの「経済は市場に任せるべきだ」といった考え方が働いていたに違いない。複雑な経済を理解できるのは一部の知識人だけであって、それを“怒れる群衆”の手に委ねてもうまくいかないと考えた人もいただろう。あるいは、緊縮策のように痛みを伴う政策は、それが以下に将来のために必要だと説いたところで一般市民には納得できないのだから、国民投票などに委ねるべきではないと考えた人もいるだろう。そうした考え方が正しいとすれば、国民に決定を委ねたアイスランドの政治家たちは舵取りを間違えたことになる。
その一方で、アイスランド国民を後押しする声も寄せられた。たとえば、今回の世界的な経済・金融危機を事前に予測し、警鐘を鳴らしていたロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のロバート・ウェイド(政治経済学)は、アイスランドのメディアに次のような意見を述べた。ニューディールのような公共事業政策にこそ金をかけるべきで、そうすればただ失業手当に頼るだけの人々が増えることもない。仕事に復帰できる人が多ければ多いほど、その人々が収入を消費に回して景気回復に一役買ってくれる。特に若い世代に関しては、失業が長引けば、一度も働いたことがないという一種の"失われた世代"が生まれかねないし、あるいは海外に移住したままもどってこなくなる恐れもある。また、人々を労働市場の外に追い出さないことが肝心で、企業も解雇ではなく、労働時間の縮小で対処するのが望ましい。さらに、政府は高齢者のニーズを満たすべく、年金を維持しなければならない。 (26%)
このように、アイスランドはセーフティネットを維持することで金融危機に立ち向かったが、これを乗り越えることができた理由として、もう一つ忘れてはならないものがあり、それが国民の団結である。金融危機発生直後には、巨額の負債を作った富裕層とそれ以外の人々に亀裂が生じたが、その後の国民投票を経て再びこの国に団結に火がともり、国民全員が同じ危機のなかにあるという感覚が共有された。もともとアイスランドは西欧諸国のなかでもとりわけ社会関係資本が豊かな国で、誰もが近所で、職場で、そして教会で親しい友人の輪に囲まれている。 (28%)
アイスランドは今回の経済崩壊から教訓を得て、再び国家破綻の危機を招くことがないように先手を打ち、憲法を改正した。改正案は2011年7月に作成されたが、その方法もユニークだった。一般市民のなかから立候補して選ばれた25人の代表が、インターネットを利用して広く国民の意見を取り入れてまとめたのである。主眼に置かれたのは、天然資源の管理強化と、政治家と銀行の癒着だった。そしてこの改正案は、これまたインターネット上で2012年10月に国民投票にかけられた。ソーシャルメディアのアプリケーションを利用して、改正案に関する6つの質問に答えるという方法で、国民の3分の2が草案を新憲法の土台とすることに賛成した。
アイスランドが福祉を維持できたのは、政府が民主主義を第一とし、かつ国民が社会保護維持を明確にしたからだった。その結果、アイスランドはよりいっそう強い社会になった。 (29%)
ギリシャでもアイスランドと同じ道を模索する道がなかったわけではない。2011年10月末、パパレンドゥ首相は新たな財政緊縮政策を条件とするIMFの追加支援の受け入れをめぐり、ようやくこれを国民投票にかけるという意向を表明した。(...) だが、トロイカやヨーロッパ諸国の指導者から圧力がかかり、結局パパレンドゥはこの意向を撤回せざるをえなかった。当初は国民投票を支持していた議員たちもEUの意向に押されて反対に回り、内閣不信任案を提出。パパレンドゥはかろうじて不信任を免れたが、その後の連立政権樹立の際に首相の座を降りることになった。EU諸国は、リビアでは民主主義のためにカダフィ政権を崩壊させながら、民主主義発祥の地であるギリシャでは民主的な投票を阻止したわけである。 (32%)
ギリシャに押し付けられた緊縮政策は景気刺激策でもなければ政治戦略でもなかった。それは他のユーロ参加国への、いや、世界中への一種の警告――金融界のエリートたちのルールに従わないと困ったことになりますよという警告――だった。 (34%)
ギリシャの人々が憤り、あるいは絶望したのも無理はない。暴動の件は前に少し触れたが、なかでもとりわけ激しかったものの一つに、2012年10月のメルケル首相ギリシャ訪問時のものがある、このときは6000人の警察官が警備に当たったが、結局デモ隊と激しく衝突し、催涙ガスで応戦せざるをえなかった。デモ隊側は《メルケルは帰れ!!ギリシャはお前の植民地じゃない》《これじゃEUの仲間じゃなくて奴隷扱いだ!》《おれたちは地獄に突き落とされた》などとかかれた横断幕を掲げ、なかには「第四帝国にノー」と叫びながらナチスの旗を焼く光景も見られた。ドイツは第2次世界大戦後に欧米諸国から助けられたのに、そのドイツがギリシャに緊縮政策を強要したのだから、余計に腹立たしく思うギリシャ人もいたことだろう。
さらに、ギリシャの社会的連帯(アイスランドではこれが重要な役割を果たした)にひびが入ったのも、経済的打撃というよりも緊縮政策の弊害によるところが大きい。その証拠に、大恐慌後に緊縮政策がとられたヨーロッパ諸国で極右勢力が台頭したように、ギリシャでも今回、長く息をひそめていた極右勢力が復活した。「黄金の夜明け」という極右政党がセーフティネットに開いた穴をふさぐ活動を始め、それを足掛かりに息を吹き返した。党員たちはアテネの通りに出て、飢えた人々のために温かい食事を用意したが、ギリシャ国籍であることを示す身分証明書を持った人にしか提供しない。そして彼らの活動が活発になるにつれ、移民排斥運動も広がっていった。やがて攻撃の対象は移民以外にも広がり、今ではゲイやレズビアンにまでターゲットになっている。これはまさに大恐慌の緊縮政策からファシズムの台頭へ、そして第2次世界大戦へという流れを思い起こさせる状況で、背筋が寒くなる。 (34%)
医療は主に次の2点で一般的な市場財とは異なる。ひとつはニーズの予想が難しいこと。もうひとつは思いもがけず高額になる場合があること。たとえば、心臓発作を起こして冠動脈バイパス手術を受けるといったことは、いつ起きるのか事前にはわからない。そのためにいつお金を用意しておけばいいのかもわからないし、少々貯金してみたところで、大きな手術を受ければすぐに底をついてしまう。だからこそ保険に入るのだが、それで問題が全て解決されるわけではない。なぜなら、保険に入るということは、どういう治療は受けられて、どういう治療は受けられないのかを他人に決めさせることだからである。 (36%)
キャメロン政権が実施したような緊縮政策が臨床試験並みの厳しい基準で審査されるとしたら、そもそも試験を行うことさえ認められないだろう。とっくの昔に却下されているはずである。なにしろ緊縮政策の副作用は危険で、患者の命を奪うことさえあり、しかも効果の方ははっきりしないのだから。 (47%)
これまで緊縮政策が失敗してきたのは、それがしっかりした論理やデータに基づいたものではないからである。緊縮政策は一種のイデオロギーであり、小さい政府と自由市場は常に国家の介入に勝るという思い込みに基づいている。だがそれは社会的に作り上げられた神話であり、それも、国の役割の縮小や福祉事業の民営化によって得をする立場にいる政治家に都合の良い神話である。 (47%)
民主的な選択は、裏付けのある政策とそうでない政策を見分けることから始まる。特に国民の生死にかかわるようなリスクの高い政策選択においては、判断をイデオロギーや信念に委ねてはいけない。統計学者のW•E•デミングは、「神の言葉は信じよう。だがそれ以外の者は皆データを示すべきだ」と言ったが、政治家は事実や数字よりも、先入観や社会理論、イデオロギーに基づいて意見を述べることが多い。それでは民主主義はうまく機能しない。正しくかつわかりやすいデータや証拠が国民に示されていないなら、予算編成にしても経済政策にしても、国民は政治家に判断を委ねることができない。 (48%)
今回の大不況について次の世代が評価する時がきたら、彼らは何を基準に判断するだろうか? それは成長率や赤字削減幅ではないだろう。社会的弱者をどう守ったか、コミュニティにとって最も基本的なニーズ、すなわち医療、住宅、仕事といったニーズにどこまで応えられたかといった点ではないだろうか? (48%)